3月は卒業式など、別れのほろ苦い想いの時期ですね。東日本大震災や2年間の介護の末に19歳で愛猫ジョイがこの世を去ったのも3月の出来事でした。そして私にとってもうひとつ3月には忘れられない日があります…それは…
私が17歳の時の春休み3月24日の朝、私の生家は火事になりました。
前夜、大学の春休みで帰省していた姉と遅くまで話し込み、ぐっすりと眠っていた朝、「火事だー!」という声で起こされました。
とり急ぎ洋服を着て、とにかく、階下に降りて行きました。
火のまわりがあまりにも早く、何も持ちだす間もなく、自分の部屋にも二度と戻ることができませんでした。
大事にしていた本、父が買ってくれてとても気に入っていた白いステレオ、レコード(昭和なので!…笑) ギター、洋服、 いろんな小物、高校3年用に用意した真新しい教科書、叔母さんからもらった進級祝い、集めていたきれいな貝殻や美しいペーパー、写真やアルバム…などなど。
当時高校2年生の女の子だった私が大事にしていたものすべてが一瞬にしてなくなったのです。
・・・とてもショックでした。
私は頭にけがをしましたが、何針か縫った程度で済みました。
ほかには誰もけがをなかったし、当時飼っていた2匹のねこもあとで無事が確認されました。
(しかし残念ながら、この時、私たちが親せき宅で避難生活をしている間、よそでごはんを食べたせいなのか、ねこたちはねこエイズになってしまいました。
1匹は亡くなりましたが、もう1匹は懸命の看護の結果、奇跡的に命を取り戻しました!)
この時、たくさんの人たちが私たちをサポートしてくれました。
よく知らない人たちまでもが、物心両面で支えてくれました。
とてもありがたかったです。
火事の後片付けは大変なものでした。
焼け残った残骸、消火作業による水びたしの状態、焦げた匂い…
容易なものではなかったと思いますが、みんなが協力してくれました。
そして、時間はかかりましたが、また家に住めるようになりました。
あきらめなければいけない「もの」や「こと」もいろいろありました。
それでも、その後も私は元気で、しあわせな人生を送っています。
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すべてのものを失ったあの日、17歳の私は、ある種の無常感を感じました。
「物は、どんなものであろうと、いつかはなくなるんだ。どんなに大切なものでも、大好きなものでも…」
「物ではない「何か」永遠なる「何か」を
私はこの人生の中でも持ちたいし、経験したい!」
そんなふうに強く思いました。
そこから私のスピリチュアルな探求がスタートしたのだと思います。
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そして、不思議なことが起こりました。
すべてのものが焼けたにも関わらず、
ベッドサイドテーブルの中に入れていた聖書だけは、なぜか焼け残ったのです…!
(私は特にユダヤ教やキリスト教を信者ではないのですが、聖書は寝る前に時々読んでいたのです)
これには驚きました!
畏敬の念を感じずにはいられませんでした。
目には見えない何か聖なるものがあり、
『物質的なものがすべてなくなっても
スピリチュアルな世界はあるんですよ。
それはなくならずにちゃんと存在するのですよ。
聖なるものはいつでもちゃんとあなたと共にあります。
どんなに大変に思える時でも。
だから信じて進みなさいね』
そんなメッセージだったのかもしれません。
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私の人生、いろんなことがありました。
この17歳のときの火事のときの頭の怪我だけでなく、幼稚園のときには、二階のベランダから中庭に落ちて、頭を打ち、意識不明になりました。
一命はとりとめましたが、夕方まで意識が回復しないと知的障害が残ると診断され、
母は責任を感じ、心中しようと思ったそうです。
幸いにも意識が回復し、事なきを得ました。
大学一年のときには、横断歩道を歩いていたにも関わらず、若者の運転する車にはねられ、頭を打ち、むちうちにもなったことがあります…。
あのときは自分が飛んで、地面に打ち付けられ、「グえ~」と自分でも出したことのない声を出し&聞き、道路で倒れながらも、自分的にもびっくりした!憶えがあります。
3回も頭を打っているんです、私って…
…不幸自慢!?
でも。大丈夫。
こんなに元気で普通に生きています~。
…ちょっぴり天然なのは、そのせいなのかも?!(((o(*゚▽゚*)o)))