武藤悦子のブログ

Over The Rainbow

最後のJOYくんレポート


みなさん、こんにちは~。武藤悦子です。
ちょっぴりごぶさたしていましたが、みなさんお元気ですか?!
早いもので、桜の季節も終わり、街は緑になりましたね。もうGWですね。


エッセイを書きたいと思いながらも
なかなか書けませんでした。
この3月 4月、怒涛のように(?!/笑)忙しかったのもその理由のひとつですが、
いちばんの理由はジョイくんがこの世を去ったことです。
最初はショックが大きすぎて
しばらくすると、思い出すのが辛すぎてとても書けませんでした。
みなさんからも「ジョイくんはお元気ですか?」と聞かれることも多いので、
今日はジョイくんとの最期の日々をシェアさせていただきます。


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<最後のJOYくんレポート>
ジョイくんは3月11日、満月の光に包まれて
この世から旅立ちました。
死を宣告されてから死に至るまでの3日間は
ジョイにとってはもちろん、私にとっても、とても辛いものでした。


19歳という高齢だったので全体的に老衰していたのですが、
慢性腎不全の末期でした。
もう何もしてあげられることはなく、
傍らで苦しむジョイを見ることは何よりも辛いことでした。
私にできることは、ただそばにいてあげることだけでした。


ジョイが旅立つ時にはそばにいてあげたい、
ジョイが淋しく、不安でないように。
やすらかで、安心して、その時を迎えられるように。
それが、この2年間の介護生活の中で私の最後の願いでした。


とても辛かったけれど、その願いが届いて、
最期の3日間をそばにいられて、看取ることができて、
ある意味幸せだったと思います。


3月7日土曜日の夜、ジョイの体調は急変しました。
5日木曜日の定期健診の時には全く問題がなく、
みんな(夫と私とジョイ)がごきげんで病院から帰ってきたのに…。
土曜日に3回も排便し、嘔吐もし、夜には大量の排尿を2回しました。
どんなに体調が悪い時でも、きちんとトイレに行って排尿するジョイが
ヒーターの近くの床と、時々入ってくつろいでいた段ボール箱で排尿してしまい、
特に、お気に入りの段ボール箱がぐっしょりと濡れてしまった時は、
おかしい!と思い、動揺しました。
ジョイも私に目で何かを訴えていたように思います。


ジョイは老猫になってから便秘が持病になり、
この2年間苦しんでいたので、自力で排便ができるということは
とても喜ばしいことなのです。
ただ日に3度もすることはめずらしく、日中家にいて様子を見ていた夫も
少しおかしいなと思いつつも、よいことなので、
そんなに気にとめなかったようです。
時々、排便の時にいきむので、嘔吐をしてしまうこともあります。
猫は嘔吐をしやすい動物なので、これもそこまでは
心配しなかったようですが、嘔吐をすると弱るので、
私が仕事中に電話をかけて、様子を聞いたときに
夫は少し心配そうにしていました。


夜になって私が帰宅した時も
そんなに緊急というふうではないように見えました。
ただ、夜中になって、上記のように
大量の排尿をした時は、これはまずい!と思いました。
聞いて見ると日中は一度も排尿していなかった様子。
夫も排便のことだけに気を取られていたのだと思います。
なんらか泌尿器系の問題が生じたことは確かです。
ただもう真夜中過ぎで、かかりつけの病院は閉まっています。
以前に救急病院に行ったことがあるのですが、
満足のできる対応ではなかったため、もうそこには行きたくなかったのと、
出ないということなら問題だけど、ともかく出たのだから、
あと数時間待って、朝一番でかかりつけの病院に行こうと判断しました。


翌8日日曜日も私はセミナーの仕事だったので
開始前までにセミナールームにつけるように
そして一刻も早く、診察してもらえるように、病院に行きました。
「たぶん昨日はうまく排尿できずに、何度も試みて
その結果は3度も排便をしたのでしょう。
何かのきっかけで夜中に排尿できたということなのだと思いますが
血液検査をしてみてみましょう」ということでした。
そして血液検査の結果は、腎臓の数値が振り切れていて
深刻な状態であるということがわかりました。


昨夜の強制給餌や投薬も普通ではない嫌がり方だったので
そんなにいやならば…と、また逆効果になってもよくないと思い、
途中でやめてしまいました。
今朝もお医者さまの指示に従おうと思ったので
いつもの強制給餌と投薬はせずに病院に行きました。
その旨を相談し、強制給餌と投薬をしてほしいとお願いしました。


急いで食べさせて、すぐに車で帰って、
気分が悪くなって吐いてしまったら元も子もないし、
今日は夜まで入院して、ゆっくり強制給餌と投薬をしながら、
いつものような皮下にではなく、血管に点滴をして様子をみましょう、
ということになりました。
そして、もしも夕方まで点滴をして、再度血液検査をして
腎臓の数値が下がらなかった場合は、
もう長くはないということでした…。


ジョイを入院させて、仕事に行くのは、とても辛いことでした。
2年も通っている慣れた病院であっても、
そこには他の動物たちも入院しているし、
具合が悪いのに、そこにひとり置いていかれて、
辛い治療を受けなければならない。
ジョイにとってはとても辛いことだと思うし、
理解のできないことだと思います。
何よりねこは安心できる家で家族と過ごすのが大好きです。
そばにいてあげたいと思いましたが、セミナー中はセミナーに集中し、
心の中ではジョイに愛と光を送り続けていました。


セミナー終了後、病院に電話をすると
担当の先生のお話は、
「点滴をして、血液検査をしましたが、
残念ながら、もう腎臓の数値は下がりませんでした。
あと数日の命だと思います。
苦しむ姿を見たくないから、そのまま入院させて
病院で最期を看取ってほしいという飼い主さんもいらっしゃいますが
それは望まないと、今までのことを見ていて思います。
どうぞ迎えにきてくださって、最期の時を一緒におうちで過ごしてください」
というものでした。


急いで病院に向かいました。
さらに先生はこのように説明してくださいました。
「強制給餌も何度かに分けて根気よくしましたが、今までにない嫌がり方でした。
もう強制給餌も投薬もやめましょう。
ただ夜の皮下点滴と朝晩の吐き気止めと腎臓の注射だけはしてください。
もしかしたらそれさえ、必要はないかもしれませんが…。
念のために出しておきます。
いつご出張でしたっけ?木曜日ですよね?
たぶん、行けると思いますよ。それまではもたないと思います。
ジョイちゃんの目がいつもと違いますよね。
もう疲れてしまったのかな」先生も涙声です。


おととしの秋、イギリスから帰国したあとに
瀕死の状態になった時に、強制給餌をしていましたが
あまりにもいやがるジョイを見て、そこまでしてする必要があるのかと悩み、
先生に相談したところ、
「強制給餌をして、ちゃんと消化吸収し、排便し、
少しでも効果があって、元気になれるなら、やり続けましょう。
でも制給餌が逆効果になるなら、その時はやめましょう」
と言われ、納得しました。


もう強制給餌も投薬もしないということは、
延命をしない、強制給餌をしても苦しみを長引かせるだけだ、
ということなのでしょう。余命数日という死の宣告でした。


実は木曜日から4日間、どうしても地方に行く用事があり、
何ヶ月も前から先生に相談していたのです。
行けるかなぁ、どうかなぁと。
クリスマス前後に危機的な状態はありましたが、
今年になってからは落ち着いていたので
姪に頼んで行けるかなと思っていました。
ただ、姪もちょうど忙しい時期であるということと、
ジョイの状態から、もしかしたら行けても日帰りかもしれない、
山梨だから、なんとかがんばれば日帰りで行けないことはないだろう、
でももし状態が悪かったら、行くのはやめようと思っていたところでした。
ぎりぎりまで待って、状況で判断しようと思っていたのです。


先生のお話はとてもショックで、涙が流れてきました。
でも、驚きはなかったのです。
昨夜、強制給餌をしようと何度試みても
頑として受け入れないジョイを見て、
その強い瞳を見て、強い意志、決意のようなものを感じました。
もう生きないという選択をしたんだという…。
そして私のその哀しい予感は、当たってしまったのです。


ジョイを引き取ろうと診察室に行くと
ベッドの上につれてこられたジョイは
すぐにまっすぐに私の方へかけ寄ってきました。
先生も「わかるんだよね。お母さんのところに、早く帰りたいんだよね」と
しみじみと言っていました。


帰りの車の中、ジョイをしっかりと抱きしめていました。
何度も何度も通った病院の往復の道。
車の中で、こんなふうに抱っこして、
このふわふわした毛並みを撫でられるのは
からだのあたたかさを感じられるのは
この心臓の鼓動を聞けるのは
これがきっと最後なんだなと思いながら。
そして、車の中ではいつもおとなしく抱っこされているジョイくんが
この日はかなり苦しかったのか、
またはよほど早くおうちに帰りたかったのか、
落ち着きがありませんでした。


帰宅後は、点滴の効果で、思ったより元気でした。
自力でお水も飲んだし、トイレにも行こうとしました。
でも、後ろ足がもうおぼつかない感じになっていたので
私がジョイの胴体を支えてあげて、一緒にトイレまで行きました。
それでも自力で排尿できたので、これはすごいことだと思います。
誇り高いジョイくんは、最期まで自力でやろうとがんばったのです。
お見舞いに来てくれた姉や姪も驚きながらも、喜んでいました。


もしジョイが旅立つとすれば、夜だと思っていたので
夜は寝ずに看病していました。
月曜日は自宅で仕事だったので、ずっとそばにいることができました。
友人もそばにいてくれました。


火曜日は別の友人と約束があったのですが、キャンセルしてもらい、
看病することができました。
たまたま新しい本の校正のしめきりだったので
月曜日と火曜日の夜中は姉にも手伝ってもらい、
徹夜で仕事をしながら、ジョイの看病をしていました。


水曜日は個人セッションがあったのですが、それも日延べしてもらいました。
私は自分が入院した時も、病院から自分のセミナーに通ったり、
父が亡くなった時も、セミナーを優先してからお通夜やお葬式にも行きました。
でも今回は個人セッションだったので、
お申し込みいただいた3人の方には事情を話して変更してもらいました。


小さいジョイくんは、私のサポートを必要としている、
私にそばにいてほしいと思っている、
だから私もそうしてあげたいと思ったので、
今回だけはクライアントの方にご迷惑をおかけすることを承知の上で、
お願いさせていただいたのです。


そういうわけで月曜日から水曜日のジョイの最期の3日間は
いろんな方たちの協力のおかげで、共に過ごすことができました。
日曜日の夜は、立つことやお水を飲むことができたジョイくんは
月曜日には、なんとか動こうとがんばって、上半身を動かすことができました。
火曜日にはだんだんと弱ってきて、上半身もうごかせなくなってきました。
水ももう飲めなくなっていました。
ペットシーツには、血尿なのか、血のような茶色いものが、
少しずつ何度かでるようになりました。
病院に電話で相談すると、出ないよりは出たほうがいいということと
連れてきてもらっても何も改善できることはできないだろうとのことでした。
少しずつ痙攣も起こるようになりました。
水曜日には全く何もでなくなり、痙攣も激しくなってきました。
病院に電話で相談しましたが、痙攣止めの薬は強すぎて使えないし、
もう何もできないとのことでした。


だんだんと弱っていくジョイくんに
朝晩の注射と夜の点滴以外には
実際的にはもうほとんど何もすることができない、
ただ見ているだけしか、そばにいるだけしかできない。
本当にそれが辛かったです。
水曜日にはほとんど動けなくなってきていたので、
時々体の向きや位置を変えてあげたり、
少しでも楽になるように、枕をしてあげたりしました。
苦しい時に、あまり撫でられたらり、かまわれるのもいやかなと思い、
避けていたのですが、時々顔をそっと撫でてあげると
とても気持ちよさそうにしていました。


ジョイくん。ジョイちゃん。にゃんちゃん。ジョイにゃん。にゃんきー。ジョイキー。ジョイキン。
いろんな名前で呼んでいたけれど、
最後の3日間は、ジョイちゃんと呼んでいました。
いつもは私のことを受け止めてくれる、私にとっては大きな頼れる存在のジョイくんだったのですが、
その時は赤ちゃんのように小さいか弱い存在に感じていました。
だからなのでしょう、自然とジョイちゃんと呼んでいたのです。


ジョイちゃん、ジョイちゃん、ジョイちゃん…
何度名前を呼んだことでしょう。
私のジョイちゃん、かわいいジョイちゃん。
大きなねこちゃん。
ふわふわのベージュ色のジョイちゃん。
茶色の太いしっぽと手足、まんまるのお目々で寄り目のジョイちゃん。
大きな音でごろごろと喉を鳴らし、いつも悦んでいたジョイちゃん。
お風呂やトイレまでのくっついてくる甘えん坊のジョイちゃん。
バニラの香りが大好きで、チョコレートやクッキーの香りが好きだったジョイちゃん。


「ジョイは世界で一番かわいいねこちゃんだからね」
毎日毎日、ジョイに言っていた言葉を何度も何度も繰り返しました。
そして、私がどんなにジョイを大切に想い、大好きなのか、
ジョイがいかにすばらしいねこちゃんであるか、
いつもまっすぐな美しいアクアマリンのようなブルーの瞳で
私を見ていてくれたこと、いつもどんな時も私を待ってくれていたこと、
どんな私でも受け入れ、愛してくれたこと、信頼してくれたこと、
言葉にできない気持ちを伝えました。
海外に行っている間は淋しい思いをさせてしまって、申し訳なかったこと、
留守がちだった時もあったけど、いつも私のハートの中にはジョイがいたこと、
ジョイと出会えて、共に過ごすことができてどんなに幸せだったか、
感謝とお詫びの気持ちも伝えました。
ジョイには本当にたくさんのものを与えてもらい、教えてもらったのです。
ジョイはずっと私を抱きしめてくれていたのです。
その純粋で清らかで美しい愛と光で。
ジョイくん、今まで本当にありがとうね。


水曜日の夜になると、痙攣がさらに激しくなりました。
ある痙攣の発作でジョイは口の中を噛んでしまい、口の中から大出血をしてしまいました。
舌を噛んでしまったのでは?と思うほどの出血だったので、
ショックで、もうどうしていいかもわからず、おろおろしていましたが、
インターネットで調べてみると、痙攣で舌を噛むことはないとわかったので、ほっとしました。
口から血を流し、何度も続く痙攣の発作…。痛ましい様子…。
ジョイくんに「もう楽になってね。私のためにがんばらなくてもいいからね。
自分のタイミングで旅立っても大丈夫だからね」と伝えました。
本当にもう楽になってほしかったのです。
ぼろぼろになった体を脱ぎ捨てて、早く自由になってほしいと心から思ったのです。


とても繊細で感覚的な夫はジョイとシンクロして体調を崩していたため、
この時すでに休んでいたのですが、
このすぐあとに、姉が来てくれていたので、心強かったです。


痙攣を繰り返した後しばらくして、ジョイは静かに息をひきとりました。
3月11日水曜日 夜11時40分でした。
ジョイは満月の夜、月の光に導かれて、旅立って行きました。
19歳4か月の命を終えたのです。


その日も私も夫も姉も夜通し起きていて、ジョイのそばについていました。
ジョイはまるで眠っているようでした。
でも何かが違うんですね…。
インターネットでペットの葬儀屋さんも調べて、
翌朝来てもらうように手配をしました。


お昼前には、きれいな祭壇が作られました。

ジョイにきれいな家で最後を過ごしてほしかったのと、祭壇にたくさんのクリスタルを飾ってあげたかったので、片付けをはじめました。狂ったように!(笑)
何かをしていないといられなかったかもしれません。
しばらくはずっとジョイにかかりっきりになっていたので家の中は散らかっていたので、きれいにしたくて、その日はずっと夢中で夜中まで片付けをしていました。


自分の部屋もただ着替えをするだけの部屋になっていました。
冬になってからはずっと、ジョイがひとりで不安かもしれないし、
私もジョイにいつ何が起こるかわからなかったので
私は毎日1Fのリヴィングルームの床にマットレスをひいて寝ていました。
ジョイが亡くなった水曜日の夜中、片付けの後、
何ヶ月かぶりに2Fのベッドで休んだのですが
自分のベッドなのにその高さになじめず、眠れませんでした。
そんな小さなことが辛くて切なくて、悲しかったです。
ジョイがいれば、床で寝ようとなんだろうと
そんなことはかまわなかったのに。


ジョイは私にとって、一番いいタイミングを選んで
旅立ったのだと思います。
私に山梨に行かせてあげようとしてくれたのでしょう。
先生が「ジョイちゃんはたぶん木曜日までもたないと思います」と言った通り、
木曜日になる20分前に亡くなりました。
ジョイは選んだのだと思います。
自分の死を。
それは土曜日の夜に強制給餌を頑としていやがった目を見た時にわかりました。
私に木曜日から出かけてほしかったのだと思います。
ジョイにとっては「死」さえも愛の表現だったのです。
私は思わず、子供のころに読んで感動した萩尾望都の「トーマの心臓」を思い出しました。


金曜日から1日遅れで、山梨に向かい、
アメリカから恩師の先生やたくさんの仲間や友人たちと会えたので
サポートしてもらうことができました。
その後もたまたま時期的に、毎日が忙しく、気がまぎれました。
季節も春になる時だったので、気分的にも楽でした。
私が辛くないようにと、
そしてまた私が多忙だとジョイの面倒を見るのも大変だろうから、
もう迷惑をかけたくないという気持ちもあったのでしょう。
いろんな意味でいい時期を選んで逝ったのだと思います。


ジョイをなかなか逝かせることができない私のために
がんばってくれたジョイくん。
たぶんジョイ本来の予定よりも長く生きてくれたのだと思います。
よしもとばななさんもそう言っていました。


ジョイちゃん、よくがんばったね。
えらかったね。すごいね、ジョイくん。
今まで本当にありがとうね。
ジョイのことは、ずっとずっと忘れないよ。
いつまでも憶えているよ。
ずっと大好きだよ。
ずっと一緒だよ。


ジョイは私の心のささえでした。
強くて、凛々しくて、誇り高いジョイくん。
やさしくて、かわいくて、スウィートなジョイちゃん。
賢くて、包容力があって、何でも受け入れてくれるBIGハートなジョイ。


ジョイがいなくなってしまったあと、
きちんと仕事もしていましたし、普通の生活ができていました。
2年前の私だったら、たぶんもっと大変だったに違いありません。
でも、それなりに元気で過ごしていても
芯の部分で、とても淋しく、哀しい感じがいつもありました。
ぽっかりと穴があいたような感じです。


リアルなジョイがいない生活が淋しく、
撫でたり遊んだりするなどのふれあいがないのが、哀しいのです。
ショックというかまだ慣れてないというか。
もちろん、それなりに元気にはしていますし、暗いわけではありません。


やれることはジョイも私も獣医さんもみんなやったから悔いはないし、
2年の介護生活の中で心の準備と覚悟もして来ました。
でもやはり淋しさを感じます。


そんな時に、メールでずっとサポートしてくれていたのが
私の十数年来の友人の姫乃宮亜美さんです。
亜美さんは、女神の愛の光である天の母性のメッセンジャーとしてご活躍されています。


彼女のメッセージはとても深くて、心に響きました。
霊的なことに対する疑問に、亜美さんが答えてくれたことで
いろいろなことがクリアになりました。
このメッセージは私だけにしまっておくのはもったいない!!
もっと多くの方にもシェアしたいと感じました。
亜美さんの許可をいただいて、以下にその一部を掲載させていただきます。


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亜美さん:ネコちゃんは私が知っている限りでは再び転生することはないのね。
残念だけど、動物たちと人間とでは、進化の過程が違うんですね。
人間はハイヤーセルフをもっているけど、動物たちのものは一種の生命の勘であって、
我(エゴ)がない分、神様に使われやすく、いわゆるお使いになることはあっても、人間のような神性はまだ発達していないのです。
動物たちの魂は人間のものより発揮できる力が、小さいのね、だから私たちみたいに個人で転生はできないのです。
動物には種があって、その種族ごとにグループソウル(類魂)があって、動物は死後その種族のソウルに溶け込んでゆき、そのグループ全体で進化して、そのグループがハイヤーセルフを得るまで進化して、人間に転生することはあっても、ネコちゃんや犬さんがその子の人格のまま、他の犬やネコに生まれ変わることはないのね。


でもね、だからこそハイヤーセルフをもたない動物たちは愛に反応するんです。
愛がペットたちにとってはハイヤーセルフの代わりになるから~。
ジョイちゃんのように大切に大切に愛されて、可愛がられた人生をおくった子はね、
死後目を覚ましたらまっすぐ愛のあるところにいくのです。
つまり武藤さんのとこまでジョイちゃんはまっしぐらにくるの!


そしていつかご主人様(愛でつながっている人)が天に戻ってくるまで、ずっとそばにいてくれるんだよ。
それはジョイちゃんたちにとっては愛をくれる武藤さんの存在が私たちにとってのハイヤーセルフと同じなのね。


ジョイちゃんね、もう目を覚ましていますよ。
ふっくらして毛つやもよくて、すでに普通に家の中に暮らしています。
時々瞑想して話しかけてあげて。きっとそばにいるのがわかるよ。
姿がみえないのがさみしいけど、ちゃんといるんだね。


大丈夫だよ。ジョイちゃんはちゃんと武藤さんのそばに今もいますよ~。


武藤:ネコちゃんは再び転生することはないんですね。
ねこ好きの友人が、かわいがっていたねこちゃんの死後、転生してほしい、
わかる形でサインを出してと願ったら、そういうねこが現れたから今、新しいねこを飼っていると聞いたので、そんなことがあるのかなと思ったので、聞いてみました。


ジョイに毎日、ごはんとお水をあげて、キャンドルとインセンスを灯しています。
もう家にいるのなら、必要ないんでしょうか?


葬儀屋さんによると49日過ぎても、遺骨を持ってる人たちがほとんどだと言われたので、そうしょうかなと思ったら、友人にそんなのは絶対だめで、土に還さないといけないし、お寺に供養すべきだと言われました。本当なのでしょうか?


こないだ夢を見て、ジョイと一緒に寝ているんだけど、ゴロゴロの音が聞こえないというものでした。ジョイは今、しあわせなのでしょうか?


ジョイと会うには瞑想する以外に方法はありますか?
ジョイが望んでいることやしてほしいこと、私に言いたいことはありますか?


いろいろ聞いてすみません。ペットロスなので、許してね。


亜美さん:武藤さんが書いていた心境はとてもよくわかるよ。
魂はよくわかるけど、その肉体が見えないことがさみしいんだよね。


ジョイちゃんは今幸せそうですよ~。
ふっくらしててとても幸せそうに、普通に暮らしていますよ。すごくかわいいです。

でも私からも遺骨はもたないようにと強くお勧めします。
それはね、執着になってしまうの。
物質次元のものはやっぱりすべてお返ししなければならないのね。
肉体を終えたら、体や骨ではなく、愛がつながりになるんですね。
可能なら、お骨は火葬したのちに土に還してあげるのが一番いのちが安心するのね。


しばらくはお水やキャンドルをジョイちゃんにあげてあげるととても喜びますよ。
ジョイちゃんは今は生前のように、日常を過ごしている状態ですので、ごはんとかも喜んで食べてくれます。(うちの実家で飼っていた犬のケンタのお水やごはんは、もう数年になりますがまだやっていますね)
でもある時期になると、すーっと心からそうしてあげたいという気持ちが薄れる時期がくると思うんですが、その時はジョイちゃんが次のステップに上がった時なので、(それを霊性で感じ取っているのね)あとは祈るだけ、心で思ってあげるだけでよくなりますよ。


動物たちの転生は一回です。
でも天界はよくペットロスに苦しむ人間には新しい動物をまた迎えるように導くことがあるので、もしかしたらお友だちの件では、そういう天界の配慮だったのかもしれないね。人間からするとそれがその子じゃないとわかると、ちょっぴりがっかりしてさみしくなるかもしれないけれど・・。ジョイちゃんは今元気に生きていた頃の状態なので、特にこうしてほしい~とかはないみたい。
でも武藤さんと心を通わせたいみたいなので、イメージしていつものように話しかけてあげてください。


イメージは霊界そのままなのでイメージすると、生命の世界につながるのです。
イメージでジョイちゃんを撫でたり、話しかけたり、遊んだりしてあげると、それは実際本当のジョイちゃんと遊んでいて、すごく喜ぶの。
夢でジョイちゃんのゴロゴロが聞こえないのは、たぶん武藤さんの方がまだジョイちゃんの帰天に実感がわいてないからじゃないかな?
もう少ししたら、武藤さんなら夢もジョイちゃんとのコミュニケーションツールになるかもしれないね。


武藤:いろいろ疑問が出て来ました。
もし私たちが引っ越したら、ジョイはどうなるのですか?
または海外に行ったり、旅行したりした時は?
もし私たちがねこカフェに行ったり、うちに餌をもらいにくる近所のねこや姉のねこなど他のねこをかわいがったりしたら、ジョイは哀しみますか?


亜美さん:武藤さんがお引っ越ししても、ジョイちゃんは家にではなく、武藤さんのあたたかい愛のエネルギーについているので、基本的に武藤さんのいるところにいるのです。ですから、肉体があった時より一緒にいるんです。
大丈夫!ツーソンにもセドナにも一緒にいきます。


動物たちには読経や人間のような法要は本当はいらないのです。
読経は人間をさとすもので、初七日、四十九日などの法要は人間の魂のプロセスで、動物たちのプロセスとは違うんです。
動物たちには本物のあたたかい愛だけでいいんです。そのかわり本物の愛じゃないとだめなのね。


お骨は本当は土に還してあげるといいんだけど、自分の土地じゃないといろいろ難しいものね。


お話している選択肢の中だとやっぱりお寺がいいのかな。
読経等は害があるわけではないので、気持ちでやってあげていいのですが、本当は必要ないのです。
ただお骨のペンダントは絶対にだめです。動物の進化をひっぱってしまうから。


それからちなみにですが、愛が深すぎて、自分や自分の先祖が入っているお墓にいれる人がいらっしゃるのですが、それは絶対にやめてあげてほしい。
それは動物には苦しいことなんです。


動物と人間の進化はまったく違うものなのです。
それは例えばだけど、四本足で歩くのが自然な動物たちに、ずっと人間みたいに二本足で無理に生活させるようなものでね。


魂の進化のスピードが違うので、休ませてあげることなく全力疾走で走らせ続けるものなんですよね。だからよく霊的なSOSがでてきます。


そして人間とは違うものの動物にも進化の階段があります。
最初は生きてるときと同じように意識をしていて、肉体に近い境界にいますから、まだ肉体の雰囲気が強いのでごはんやお水をよろこぶの。
好物があったらこの時期にあげてあげるといいですね。


しかし魂に時期がきて、次のステージが満ちると、肉体次元に近いオーラの鞘から、
さらに細やかで精妙なより天国の雰囲気に近い光の体になってくると、少しずつ類魂にとけこんでゆく準備が始まります。


その頃になるともう肉体ではないことをいのちがわかるので、食事はしなくても大丈夫になるのね。


その時期にはちゃんと人間にもすーっと心に伝わりますので、もうそろそろ陰膳は必要ないかなと考えたり、うっかりごはんを備えるのを忘れるようになります。
それは冷たいのではなく、いのちの進化を感じ取っているんですね。


そして今後武藤さんが他のネコちゃんをかわいがったり飼ったりしても、けっしてジョイちゃんは怒ったりやきもちを焼いたりはしません。
ここが生きてるペットたちとちょっと違うとこですね。
動物たちのいのちは、生前人間のように暮らしていても、進化の階段は種のグループソウルとして、全体で進化していきます。


なので、やきもち所かむしろ逆で、武藤さんが別なネコちゃんでも可愛がると、それは種の全体に浸透し、結果としてジョイちゃんに届くので、自分が愛されているのと同じなので、よろこぶのです。


やきもちをやくと思うのは、私たちの方の罪悪感かもしれないね。
たくさん可愛がってあげてくださいね。


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亜美さんのメッセージはとてもサポートになりました。
大きな心の支えになりました。


しかし、私はまだなかなかジョイのいない生活になじめずにいました。
自分のベッドの高さにはもう慣れましたが、
ジョイのために各部屋のドアを決して閉めるということはなかったので
ドアを開けておく必要もないことや、
朝起きても、夜帰ってきても、ジョイがいないことに違和感を感じたり…。
外から家に電話をかけるとつい「ジョイはどう?」と聞いてしまったり…。
出かけてもジョイが待ってるから早く帰らなきゃと思ってしまったり…。
ジョイのためにTVや音楽も大きな音で聴くことはしてなかったけれど、
もう大きな音を出しても大丈夫だし、
夫とふたりでどんなに遅く帰っても、何日家をあけても、
遠くまで旅行に行っても大丈夫。
でも、そんなことよりもジョイがいてくれることが大切なのに…。


時間をかけて癒していこうと思います。
あの最期の3日間を思い出すのはとても辛かったので、
なかなかこのエッセイを書き始めることができなかったのですが、
今回数日かけて、少しずつですが、書くことができたので
これも私にとって、貴重な時間でした。
いつかすべてのことがやさしく甘い想い出になるまでは
まだ時間が必要なようです。

ジョイの死から1か月。

今度は祖母が亡くなりました。
97歳10か月の大往生です。
祖母の時も思い残すことがないように、夫と最後のお別れを言いにお見舞いに行きました。
ジョイ同じような状態で、食べることも飲むことも排せつもできず、ほとんど意識がない状態でした。
それでも「おばあちゃん」と声をかけると反応がありました。
でも、苦しそうだったので、早く楽になってほしいと祈りました。


私も毎月、こうしてジョイと祖母と、
死にゆく人を見るのは辛かったです。
それと同時に生と死について、深く考える機会を持ちました。
ヴァイオレットのテーマです。


生病老死。人間には4つの苦しみがあるとお釈迦様は言いましたが、
生まれる時も苦しいだろうし、死ぬ時も苦しいのだとつくづく思いました。
通過儀礼というのでしょうか。
何かを遠り抜けて、違うところに行く時には苦しみがつきものなのでしょう。


でも、死の直前の脳は体の苦痛や不安を取り除くため、
脳内麻薬のようなものを出すのだと言われています。
そのため、とても幸せなここちのよい気分になるそうです。
そして記憶に関する側頭葉の働きが活発になり、
走馬灯のように人生を振り返るのだと。


宇宙はとてもやさしいのですね。
最期が苦しくないようにしてくれ、そして人生を振り返る機会を与えてくれる。


ジョイが亡くなったことを翌日、お世話になった病院に電話でお知らせした時に
最期の痙攣にひどかったことと、口の中を切ってしまって大変だったことをお話すると、先生は、痙攣を起こしている時、傍目にはとても苦しそうに映るが
実は本人は何も感じていないのだと言われました。


私が思うほど、ジョイは辛らくなかったのかもしれません。
おそらく祖母も。
だとすれば、本当によかった!!


ジョイのお葬式は、私が山梨から帰ったあとの3月16日月曜日でした。
その日は快晴で、あたたかい春のうららかな日でした。
ジョイは満月の夜、月の光に導かれ旅立って、
春風に乗って、春の空に帰って行きました。
夫や姉、姪や甥と家族葬をしました。
今は火葬をしてくれる車があるので、家まで来てもらい、
広い公園に行って、きれいなお花でジョイを飾って、
みんなでカードを書いて、最後のお別れをして、火葬してもらいました。
とても親切な葬儀屋さんに恵まれ、よいお別れができてよかったです。


3月中は多忙だったため、4月のはじめになってようやく、
お世話になった病院の先生にごあいさつに伺うことができました。
ネイチャーアニマルホスピタルの先生方には本当にお世話になりました。
特に大古田先生には親身になってもらって、献身的に治療していただきました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
最後のご挨拶では先生と一緒に泣いてしまいました。
こんなふうに気持でつながれたこともうれしかったし、
そういう先生に愛情をかけてもらい、治療してもらって、ジョイも幸せだったと思います。
その病院は美しい桜並木沿いにあります。
ちょうど桜の頃だったので、夜桜を眺めながらジョイを偲びました。
本当に美しい夜でした。


祖母のお葬式はちょうど1ヶ月後の16日でした。
大往生だったので、明るいお葬式になりました。
生きているということは、いかに多くの方たちに支えられ、愛され、
ケアされているのかということを、お葬式の時に改めて気づかせられます。
生きることって、人生ってすばらしいものなんだなと。


肉体が滅んでも、消えない何か、
―愛し愛されたという愛の体験、
愛し合うことによって深まった愛の絆、
そして深い信頼―
それを経験したくて私たちの魂はここに生まれてきたのでしょう。


よく生きることがよく死ぬこと。
泣いて笑って、楽しんで、好きなことを思いきりやって、
みんなとふれあい、愛し合い、
いろんことにチャレンジして、
自分の才能を使って世の中に貢献して、
一生懸命に生きたい。
そして、いい人生だったと笑って旅立ちたい。
そんなふうに今、心から思うのです。


LOVE&LIGHT


2009年4月29日(水)


―ジョイの死から数えて、たまたまちょうど49日でしたー
7×7は49で、7の強調です。7は虹の最後の色。終わりの数。
7番目のチャクラは、ヴァイオレットで死と再生を表します。
このエッセイを書くことが、私にとってのひとつの区切りで
何かが終わって、新しい何かが始まっていくのだと思います。
肉体レヴェルでのジョイとの生活はおわったけれど、
新しい形でのジョイとの関わりの始まりなのでしょう。
そしてその絆は永遠に続くことでしょう。
長いエッセイを読んでいただいて、ありがとうございました。


See you★


武藤悦子


PS:ねこの漫画にはまっています!(笑)「くるねこ」が特にすきです。
絵本漫画の「やつがれとチビ」は泣きました!おすすめです。


<お知らせ>
ジョイの最期の日々にがんばって校正し、出版された本が「女神と天使に守られて幸せになる本~あなたに力を授ける22の女神と天使」です。
ジョイを女神や天使がサポートしてくれたように感じました。私にとっては特別な本になりました。


また、7月10日から13日にかけて、ディヴァライトでは恒例になったラストポートレート写真展を開催します。
期間中の7月11日土曜日に、今回のエッセイにも登場していただいた「姫乃宮亜美さんのチャリティトーク」と「武藤悦子とのジョイントチャリティトーク」を行うことになりました!
どうぞみなさんいらしてくださいね。

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オーラソーマ ボトルメッセージ 2009年4月15日

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タロットナレッジコース 2009年4月12日

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シェアリング フロム ザ ハート 2009年4月8日

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レイキ マスターディグリー 2009年4月1日

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プロフィール

武藤悦子
ハートと癒しのスクール(有)ディヴァ・ライト代表
英国オーラソーマ社公認ティーチャー&カラーケアコンサルタント
セラピスト養成ティーチャー
ブリッジコース教授資格を持つ世界で5人のオーラソーマティーチャーのひとり。
日本のオーラソーマ界をリードする草分け。
各種セラピーに精通し、セラピストとしても二十年以上のキャリアを持つ。
女神や天使、カラーやクリスタル、リヴィングエナジーフードなどさまざまなオリジナルセミナーを開催。
セッションやセミナーの受講者は5千人を超え、著名人にもファンが多い。
「オーラソーマパーフェクトガイド」他、多数の著書や雑誌掲載あり、海外で翻訳出版されるなどインターナショナルに活躍中。
たしかな知識と洞察と愛ある内容で多くの信頼を得ている。

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