3月は卒業式など、別れのほろ苦い想いの時期ですね。
加えて3月11日は私たちにとって、忘れられない日となりました。
以前のブログに書いたように、
私にとって3月11日はジョイくんの命日でもあります…。
そして私にとってもうひとつ
3月には忘れられない日があります・・・それは・・・
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私が17歳の時の春休み、3月24日の朝
私の生家は火事になりました。
前夜、大学の春休みで帰省していた姉と遅くまで話し込み、
ぐっすりと眠っていた朝、「火事だー!」という声で起こされました。
とり急ぎ洋服を着て、とにかく、階下に降りて行きました。
火のまわりがあまりにも早く、何も持ちだす間もなく、
自分の部屋にも二度と戻ることができませんでした。
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大事にしていた本
父が買ってくれてとても気に入っていた白いステレオ
レコード(昭和なので!…(^^ゞ)
ギター、洋服、いろんな小物
高校3年用に用意した真新しい教科書
叔母さんからもらった進級祝い
集めていたきれいな貝殻や美しいペーパー
写真やアルバム…などなど。
当時高校2年生の女の子だった私が大事にしていたもの
すべてが一瞬にしてなくなったのです。
・・・とてもショックでした。
私は頭にけがをしましたが、何針か縫った程度で済みました。
ほかには誰もけがをなかったし
当時飼っていた2匹のねこもあとで無事が確認されました。
(しかし残念ながら、この時、私たちが親せき宅で避難生活をしている間
よそでごはんを食べたせいなのか、ねこたちはねこエイズになってしまいました。
1匹は亡くなりましたが、もう1匹は懸命の看護の結果、奇跡的に命を取り戻しま
した!)
この時、たくさんの人たちが私たちをサポートしてくれました。
よく知らない人たちまでもが、物心両面で支えてくれました。
とてもありがたかったです。
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火事の後片付けは大変なものでした。
焼け残った残骸、消火作業による水びたしの状態、焦げた匂い…
容易なものではなかったと思いますが、
みんなが協力してくれました。
そして、時間はかかりましたが、また家に住めるようになりました。
あきらめなければいけない「もの」や「こと」もいろいろありました。
それでも、その後も私は元気で、しあわせな人生を送っています。
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すべてのものを失ったあの日、
17歳の私は、ある種の無常感を感じました。
「物は、どんなものであろうと、いつかはなくなるんだ。
どんなに大切なものでも、大好きなものでも…」
「物ではない「何か」永遠なる「何か」を
私はこの人生の中でも持ちたいし、経験したい!」
そんなふうに強く思いました。
そこから私のスピリチュアルな探求がスタートしたのだと思います。
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そして、不思議なことが起こりました。
すべてのものが焼けたにも関わらず、
ベッドサイドテーブルの中に入れていた聖書だけは
なぜか焼け残ったのです…!
(私は特にユダヤ教やキリスト教を信者ではないのですが、聖書は寝る前に時々読んでいたのです)
これには驚きました!
畏敬の念を感じずにはいられませんでした。
目には見えない何か聖なるものがあり、
『物質的なものがすべてなくなっても
スピリチュアルな世界はあるんですよ。
それはなくならずにちゃんと存在するのですよ。
聖なるものはいつでもちゃんとあなたと共にあります。
どんなに大変に思える時でも。
だから信じて進みなさいね』
そんなメッセージだったのかもしれません。